鴻雁来(こうがんきたる)は七十二候のひとつで、寒露(かんろ)の初候にあたります。シベリアなど北方の地から雁(がん)の群れが日本へ渡ってくる時期を表しています。
意味と由来
「鴻雁(こうがん)」は雁の総称で、「鴻(こう)」は大きな雁であるヒシクイ、「雁(がん)」はマガンを指すとされています。秋が深まるころ、V字編隊を組んで空を渡る雁の群れは、古来より秋の風物詩として人々に親しまれてきました。
清明の初候には「鴻雁北(こうがんかえる)」という候があり、春に北方へ帰った雁が秋に再び日本へやってくるという対の構成になっています。玄鳥(ツバメ)が去り、入れ替わるように雁がやってくるという渡り鳥の交代劇は、季節の巡りの鮮やかな表現です。七十二候のなかに渡り鳥の往来を織り込むことで、空を行き交う生き物たちの営みが暦と結びつけられています。
雁は古くから日本の文学や美術に多く登場し、とりわけ秋の象徴として和歌に詠まれてきました。空高く渡る雁の姿には、遠い北の地への憧れや、故郷を離れた人への思い、季節の移ろいに対するしみじみとした感慨が重ね合わされてきたとされています。月夜に渡る雁の群れは「月に雁」として浮世絵の画題にもなり、歌川広重の作品は特に広く知られています。
この時期の自然と暮らし
- 雁の渡り — 宮城県の伊豆沼・内沼や新潟県の福島潟、北海道の宮島沼など、各地の湖沼にマガンやヒシクイの群れが飛来し始めるとされている
- 寒露の露 — 冷たい露が草葉に宿るようになり、朝の冷え込みが日ごとに増してくる。「寒露」の名のとおり、露に触れるとその冷たさに驚く時期でもある
- 秋の実り — 柿や栗、新米、キノコ類など秋の味覚が出そろい、食卓が豊かになる時期にあたる。松茸をはじめとした秋の味覚を楽しむ食文化が各地に根づいている
- 紅葉前線の南下 — 山間部では紅葉が見ごろを迎え、紅葉前線が平野部へと徐々に南下していく。行楽シーズンの最盛期を迎える
補足・豆知識
マガンの日本最大の越冬地は宮城県北部の伊豆沼・内沼周辺とされており、毎年数万羽の雁が飛来します。夜明けとともに一斉に飛び立つ「雁の飛び立ち」は圧巻の光景で、多くの野鳥愛好家やカメラマンが訪れます。ラムサール条約にも登録されているこの湿地は、国際的にも重要な渡り鳥の生息地として認められています。
雁にまつわる表現として「雁行(がんこう)」があり、これは雁がV字型の隊列を組んで飛ぶようすから生まれた言葉とされています。先頭の鳥が生む気流(上昇気流)を利用して後続の鳥が体力を温存するこの飛行法は、長距離を効率よく移動するための巧みな戦略です。また、手紙のことを「雁書(がんしょ)」と呼ぶ表現は、雁の足に手紙を結んで送ったという中国の故事に由来するとされており、雁と人間との文化的なつながりの深さを物語っています。秋の空を見上げて雁の群れを見つけたなら、はるか北方からの長い旅路に思いを馳せてみるのもよいでしょう。
かつて日本では雁は狩猟の対象でもありましたが、現在ではマガンは天然記念物に指定されており、保護の対象となっています。生息地の保全活動も進められ、越冬地の環境を守る取り組みが各地で行われています。鴻雁来の候は、渡り鳥と人間の共存について考えるきっかけにもなる候です。秋の空を横切る雁の群れは、自然界の壮大なスケールを思い出させてくれる光景であり、暦を通じて季節を感じる楽しみを教えてくれます。


